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江戸川がかつて舟運で栄えたのは1650年頃東京湾に流れ込んでいた利根川を江戸の町を水害から守る為流れを銚子方面に変えた事と江戸川を関宿まで開削し利根川と繋げた事によってである。 以後大正年間鉄道網が完備されるまで松戸も流山も舟運で大いに栄えた。 日に100艘を越える高瀬舟が行き来していた。 東北地方のタバコ、紙、米、栃木の綿花、材木。利根川の上流からは新潟、長野からも荷が通過し江戸に向かったと言う。 江戸は各藩の屋敷が有った為武家住人の比率は高く生産性の無い武士の食い扶持は貨幣価値が統一していなかった時代で国許より米で送られ、その他の生活必需品と共に舟で外房を通るより安全な利根川から江戸川経由で江戸へと運ばれた。 霞ヶ浦、渡良瀬川から利根川経由で江戸川に入るルートも有った。 東武線新栃木駅の近くに豪華な船問屋の古い建物が残っているのもその名残である。 松戸の特徴は江戸人口が元禄には100万人を超え相模湾の魚ではまかない切れなくなって九十九里の魚を江戸に運ぶ中継基地として栄えた事である。 銚子からのルートは下総鮮魚街道と呼ばれその仕事を請け負っていた青木家の先代の講演録を紹介します。http://www.tante2.com/namakaidoh.htm 小生が子供の頃は焼玉エンジンを付けたポンポン蒸気船が汚わいや砂を甲板に水が入るくらい積んで往来していたが現在は若者のレジャーのジェットスキーだけが走っている。 |
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土手歩きは運動と自然観察ばかりでなく、郷愁や歴史に思いをめぐらす“いい時間”でもありますね。松戸と流山は似たような歴史を持っているので「下総鮮魚街道」は興味深く読んでいます。いつか布施まで歩いて利根川に……と思うのですが、自動車道路を歩くのはどうも。 |
knaito57 2007/05/07 10:24 |
knaito57さん 自動車道を歩くのは目も楽しめないしつまらいない |
散歩好き 2007/05/07 12:39 |
江戸川の船運 面白く読ませていただきました。 |
sakura 2007/05/07 22:21 |
舟でたちが悪かったのは藩の名を入れた帆を張った侍の |
散歩好き 2007/05/08 07:56 |
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