師匠との忘年会

恒例の柳家小はん師匠との忘年会だった。
小生を除いて全員一時間前に集って六義園の紅葉ライトアップを見て駒込南口駅前の
「江戸しぐさ」で一杯はじめていた。
驚いた事に師匠の似顔絵が看板となっている。
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高校同学年の者が8人集り毎年行われている。
時の生徒会長もいて師匠が初めて作った落研に生徒会長が7人の演劇部より多額の
部費を了承した初耳の話を聞いた。
浅草生まれの口から生まれた印象のある生徒会長は予算の配分では全権をにぎり師匠
もこわごわ予算書を出したと言う事だ。師匠一人の落研に結構な予算を付けたので現在も
馬鹿を言って我々と遊んでいられるのかもしれない。
今では師匠の前で駄洒落を連発してる男も当時は強面だったらしい。
65歳の年齢は欲も無くこだわりも無く付き合える年齢なのだろう。
髪の毛の話題は出たが病気の話しや暗くなる話は無かった。
師匠と小生
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粋な師匠
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師匠の後ろはオーナー鳥料理は伝統と創作をミックスし美味しかった。
満席で覗いて帰る人もいた。
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師匠の手拭
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日本の絶頂期に働き盛りを過した我々は幸せなのだろう。

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この記事へのコメント

knaito57
2006年12月13日 12:26
楽しそうですねえ。“散歩好き”さんと小はん師匠が並んでいる写真はなんだか奇妙な感じ……世の中が狭いような広いような不思議な感じがします。けさは好天のわりに冷え込みも緩く、しっとりした土手の空気は最高でした。
散歩好き
2006年12月13日 12:37
どうも酒の翌日は起きられなくて今日はパスしました。
6時は暗くて写真は撮れません。
どうしても散歩から帰ってから風呂に入りたいので時間は
ずらせないし迷っています。
saheizi-inokori
2006年12月13日 13:27
駒込に「中里」というお菓子やがあるそうで焼き最中を昨日食べました。フーン、駒込ねえ、今度行って見るかあなどと考えていたらこの記事、シンクロニシテイですね。
散歩好き
2006年12月13日 14:52
saheiziさん 最近は都内もあまり行きませんが駒込付近の本郷通り
も何回か探索しました。しかし歩きと建物を見るだけで舌は無しです。
昨日の連中は鶯谷「鍵屋」を知っていましたが引っ越し先が解らない
とも言っていました。
saheizi-inokori
2006年12月13日 22:58
あれ?今ある「鍵屋」は引っ越してきたのですか?それとも引っ越しちゃったのかな?今夏行ってきたのですが。鶯谷駅のすぐ近くです。ちょっと口では説明しにくいですね。
散歩好き
2006年12月14日 06:22
近くに住む者いるしたまに会うと解決してる事もあるし
課題として残しておきましょう。
与太郎
2006年12月14日 07:26
お疲れ様でした。料理も酒も集いも結構でしたね。小学校時代いらいの六義園大樹の多さと、池の大きさにちょっとびっくり。流石、将軍を招待したと言われている逸話が有る所と再認識しました。
追伸 築地の矢崎さんが、暮は動けないので、新年会を御宅でいかがでしょうかと言って頂いています。いかがでしょうか。   
散歩好き
2006年12月14日 07:46
与太郎さん 承知しました。
柳沢吉保の家だったとか。側用人てどんな位だったのですか。
失脚した後甲府の恵林時に住んでいます。この寺は信長に攻められた
勝頼の師匠の和尚が心頭滅却火亦涼と言って火責めにあったところ。
与太郎
2006年12月14日 21:26
側用人は、当初、私設秘書のような役目で将軍家の私的な用事をこなしていたが、次第に将軍への政治的な取次ぎの役目も、一手に仕切り、老中より権勢を誇るようになったようです。そうした流れの中で、柳沢吉保が自分の妻を将軍に取り持つ目的で、自分の屋敷に下向させる。その為、壮大な屋敷を造営したとの逸話か、史実かはわかりませんが、そんな六義園にはエピソードがあります。
散歩好き
2006年12月14日 22:35
吉保は4代家綱に重宝がられ権力を握ったが5代綱吉には
遠ざけられ恵林寺に引きこもりました。
滅却心頭火自涼は快川禅師の言葉です。
ひろちん
2006年12月15日 02:00
こはんさんのお店なんですか?
綺麗なお店ですね。
焼き鳥食べたいなあ。
昼もやっているの??
帰ったらいこうかなあ。
散歩好き
2006年12月15日 07:49
古典を追求する本物の芸人は副業をするような
ことはしないともう。

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